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「ピカソやゴーギャンのDNAを受け継ぐ、樋口愛の世界」個展パンフレット2022年

テキスト:加藤義夫(宝塚市立文化芸術センター館長/大阪芸術大学教授/美術評論家)

 

 

 樋口愛さんの初個展が大阪のギャラリー風で開催されたのが2007年。あれから15年もの月日が流れたのかと思うと感慨深い。当時、その個展に寄せて筆者はテキストを書いた。

 『彼女の作品「つちたま さらばこれにて」は、そのオレンジ系の色彩にゴーギャン的な光が感じられる。その光は、ゴーギャンが抱いた南の自然への憧れと同様のものであろうか。今彼女は、自然や大地に大きなエネルギーを感じ、息づく生命の絵画を表現しようと模索しているところだ。』

 初個展の樋口さんの作品に19世紀フランスの画家、ゴーギャンの絵を彷彿とさせるところがあり、頭をよぎった。ゴーギャンは文明社会を批判的に眺め、未開の人々の生活にヨーロッパ人が失った一番大切なものがあると考えていた。文明社会の人々は感情の力強さを素直に表現する方法を失ってしまったのだと思っていたようだ。

 さて、20世紀最大の芸術家といえばピカソを思い浮かべる人は多いと思う。しかし、なぜピカソが偉大でスゴイのかを語れる人は少ない。そんなピカソの言葉に次のようなものがある。

 『ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ。』『誰でも子どものときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである。』

 ピカソの言葉は樋口愛さんの作品について言い得て妙だ。子どものように自由奔放に描き、子どものまなざしを持つ、きわめて稀な画家が愛ちゃんだ。ここでは樋口愛さんのことを、親愛を込めて愛ちゃんと呼びたい。

 いつの頃からか、あいちゃんは立派な大人なのに子どものように絵が描けるようになった。ピカソが子どもの境地にたどり着くまでに何十年も費やしてきたのに、愛ちゃんは短期間に子どものように描くことができるようになった。自らの精神の自己解放を軽々とやってのけた。愛ちゃんが描くつぶらな瞳の人物像は、この世界をどのようなまなざしで見ているのだろうか。子どもが初めて出会う新鮮でみずみずしい世界、または希望あふれ未来に輝く世界を夢見ているのだろうか。子どもの視点で新たな世界の発見を暗示するような作品の数々に人々は驚きとともに、童心にかえることができる。

 さらにピカソの言葉を引用しよう。『誰もが芸術を理解したがる。それならなぜ鳥の歌を鳥の歌を理解しようとしないのか。なぜ人は夜とか、花とか、まわりのすべてのものを理解しようとしないで愛するのか。ところが絵画となると、人々は理解しなければならないらしい。』

 愛ちゃんの作品は頭だけでは理解できない。頭で理解出来るような作品の領域を超えて、頭でっかちになった現代アートを横目に、人生を楽しんでいるように思える。幸いにも愛ちゃんは現代アートに毒させていないのが良い。

 愛ちゃんの天真爛漫で自由奔放な画風は、不穏で複雑な現代社会に生きる人々に必要とさせていると感じる。

 新型コロナウイルスという感染症の爆発的流行やウクライナ危機に希望が見出せない今。しかし、地球規模の危機に一筋の光をもたらす作品が樋口愛の世界であり、人々が忘れてしまった大切なものが絵画に秘められているといえよう。

 

 

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