Bibliography

 

「樋口愛さんのこと ― カロンの部屋からの回想」個展パンフレット2011年

テキスト:澤玄昭(ギャラリー風・代表)

 

 

 新人発掘塾“カロン()の部屋”には10人足らずの参加者がいる。5年を当面の区切りとし、プロの作家になるために必要な力をつけることを主眼にしている。

 

 樋口さんは、脱落することなくこの5年を最初に迎えた修了生だ。特筆すべきことは、彼女が美大出身者ではなく関西学院大学で法学を専攻していたことだ。さらに、趣味のはずの絵画が、何を勘違いしたのか、OLを辞めさせ「どうしても画家になる!」と不退転の覚悟をもって応募してきたことだ。彼女のあまりの気迫に押され受け入れることになったが、振り返れば、彼女の人生を左右する最大の分岐点に立たせてしまった。

 

 予想をしていたが、樋口さんの戦いはイバラの道を歩くよりきついものとなった。週に一度23時間程(午前中)話を聞くことから始まった。時折、私に仕事のない日には、終日質疑に明け暮れた。作品を前にすると必ず、融通のきかない真面目さと、納得がいかないと歩もうとしない誠実さが私を悩ませた。しかし、この性格が幸いする。与えられた課題は限界まで努力し、必要とされる知識は貪欲に吸収する。関連する事柄は年次を追って重層化するが、歯をくいしばって耐える。そんな中、たまに感じる恨みの視線は、私が鬼か悪魔に見えたのだろうか?3年が過ぎ…さらに半年。そこには当初とは別人の樋口さんがいた。ようやく自分の言葉で自分の世界を語るリアリティが身に付き、それに伴って触角を通して得られるイメージが発行を始める。意識は、新たに得た言葉を携えてもう一歩を踏み込む。

 

画家・樋口愛の羽化が始まった。

 

 5年の歳月は長いようで短い。自分自身をコントロールする力が身につかなければ、結局すべてを中途半端にする。樋口さんの日常に対する冷静かつ聡明さは、現状の問題点を抽出し分析する。同時に、観察した世界と内面に広がる世界を呼応させ、あたりまえの日常生活に置き換えていく。ここをイメージする現実感覚が時間の流れを吸い込み、球根観察から始まった絵画は折々の変化を飲み続け、今、愛する郷里御厨の郷土史にある民話の世界にたどり着く。その間に遭遇したものは何ひとつ失うことなく、すべてを共生共存させてしまうシャーマニックな樋口愛ワールドが生まれてきた。彼女は言う。「土は死の堆積だと思いませんか?!だから私は球根を大地の記憶として捉えたいのです。その芽生えは、単なる再生ではなく、未知を予感させています。」と、いつのまにか壮大な時間と空間の中に大きな円を描いていた。そうして描くことの本当の喜びが自分自身の強さにつながると感じ始めていた。そこでこの個展を通過儀礼として樋口愛さんの新たな心の旅立ちを祝福したい。

 

 

Back to the list